2017年4月27日木曜日

大逆事件の真実をあきらかにする会による「暗黒の時代に道をひらく「共謀罪」に反対する声明」 Statement against "conspiracy" that opens the path in the age of darkness by Association for clarify the truth of High Treason Incident



暗黒の時代に道をひらく「共謀罪」に反対する声明

2017年4月23日
大逆事件の真実をあきらかにする会
事務局長 山泉 進


 国民の多くの批判にもかかわらず、現在安倍政権による政府は国会に「共謀罪」法案を上程し、与党の数を恃んでこの法律成立を強行しようとしています。しかし、たとえ「テロ等組織犯罪準備罪」云々と名を変えようとも、その本質は憲法違反の言論の自由封殺をもたらす重大な危険性をはらんでいることは明らかです。

 かつて二十世紀の初頭にときの明治政府は、日本社会にめばえた革新的な思想と行動を弾圧し根絶やしにするために、大逆事件という大きなフレームアップをおこないました。代表的な思想家のひとり幸徳秋水とその周辺の社会運動を志す人々に大逆陰謀を企てたという罪を着せ、24名もの死刑判決を下したのです。以後、「冬の時代」と呼ばれる言論封殺の時代が訪れ、その影響は日本の歴史に大きな禍根を残し、1945年のアジア太平洋戦争敗北に至る戦争の道につながりました。
「大逆事件」フレームアップの方法は、まさに無から有をつくりだすものでした。相次ぐ機関誌の発行禁止や警察の監視で言論と行動の自由を奪われた社会主義者・無政府主義者たちが、たまたま訪問し合って歓談したときの座談のなかから片言隻句をとらえて、「大逆謀議」と断定し、その断片を伝え聞いた者まで皆「謀議」に参加したとみなしました。また、人間の平等社会の構築を夢みる彼らの思想の究極の目的は皇室の廃絶に行き着くと断じて、大逆を企図する動機をもっているとして思想そのものを裁いたのです。「共謀罪」の原点ともいうべき事件でした。

 私たちの「大逆事件の真実をあきらかにする会」は、1960年以来半世紀以上にわたってこの歴史の教訓に学び、二度とこうした権力による過ちを犯させることのないように社会に訴える活動を続けています。その立場から、「共謀罪」は憲法の保証する内心・言論の自由という基本的人権を侵害するものであること、またその権力による恣意的な運用、監視社会の到来という危険性を見過ごすことは出来ず、この法案に強く反対するものであることをここに表明いたします。

2017年3月29日水曜日

講演「いまここで-グローバル・アナーキズムの射程」(2014年12月14日 東京外国語大学) Lecture on"Anarchy Right Now: Perspective of Gobal Anarchism. Its Vicissitude and Range" on December 14, 2014 at Tokyo Unversity of Foreign Studies



アナーキー・アライヴ!「いまここで-グローバル・アナーキズムの射程」(20141214日 東京外国語大学)田中ひかる(英語から翻訳)

 今回のイベント全体のタイトルは「アナーキー・アライヴ」、私のテーマは「アナーキー・ライト・ナウ」です。日本語では、「今ここで」です。どちらかといえば、日本語の意味で、話しを進めさせていただきます。
 The title of my talk today was proposed by Mr. Tomotsune. In English, the title is “Anarchy Alive”, but in Japanese it is “Anarcy Right Now”. I will talk in the sense of this Japanese title: "Anarchy, Here and Now".
 
  友常さんの提案にしたがい、9月に刊行した小冊子「グローバル・アナーキズムの過去・現在・未来-現代日本の新しいアナーキズム」を出発点にします。
Following the proposal of Tomotsune, I’ll begin this talk on the leaflet Global Anarchism: Past, Present and Future- New Anarchism in Japan [See Slide 1] which my friend and I published in September.


 この小冊子について、いくつかレスポンスがありましたので、それに答える形で、今回のテーマ全体について話をしていきたいと思います。これから、以下の問題について一つずつお話をしていきます。

 This leaflet contains the reports and comments, which were presented in the symposium held in Tokyo in last year; the first section of the leaflet is in Japanese, and the second part is the English translation. There are some questions and criticisms of this leaflet; and in responding to them I’ll talk about the main theme “Here and Now”. I will also summarize the questions and criticisms in the following three points: 

1.グローバル・アナーキズムは革命的な展望を持ち、統一した理念や運動を持つべきか。
2.アナーキズムは「新しく」なったのか、100年前と変わっていないのか。
3.アナーキズムとは何か。
 3番目のところで、「いまここで」という全体のテーマについて私なりの回答を出してみたいと思います。
 1. Whether the Global Anarchism should have a revolutionary perspective and be an integrated ideal and movement or not? This question is one of the criticisms to Gabriel Kuhn’s response to a comment by Norihito Nakata.

 2. Has anarchism became “new”, or has it never changed in these 100 years? This question came from one of activists, who think that anarchism which recently resurged has the same feature of the anarchism as 100 years ago.

 3. What is anarchism? I will answer in this third point to the whole theme of my talk: “Here and now.”


1.グローバル・アナーキズムは革命的な展望を持ち、統一した理念や運動を持つべきか
1. The first question is, “Whether Global Anarchism should have a revolutionary perspective, and whether it is an integrated ideal and movement or not?”

  昨年(2013年)の11月に、東京で、アナーキストのガブリエル・クーンさんを呼んで、シンポジウムを開催しました。
Gabriel Kuhun
 この小冊子は、そのときに私とクーンさんを含め、若い研究者と活動家に話してもらったことなどをまとめたものです。
 Last November, we invited Gabriel Kuhn to Japan and held the symposium on Global Anarchism in Tokyo. This leaflet is the collection of the reports, which were held by the young academic scholars and activist.


 ここで使っているグローバル・アナーキズムというのは、地球規模での現象を意味しています。伝統的にアナーキズム運動や思想が見られた地域で1990年代からアナーキズムの「復活」という現象が見られる、といわれてきていますが、同時に、そういった伝統が全くなかった、フィリピン、インドネシア、中東などにも、21世紀にはいって強力かつユニークなアナーキズム運動が見られるようになっています。
 つまり、アナーキズムあるいはアナーキズム的な思考や態度が、地球上の至る所で見られるようになった、という現象を「グローバル・アナーキズム」と呼んでいます。
 The term “Global Anarchism” means the phenomenon that merged globally these 20 years. Many scholars point out that after 1990, there is the resurgence of anarchism movement in the regions where anarchism has a long history and tradition: Europe, United States and South America.

 But in the other regions, where there is no tradition of anarchism, like the Philippines, Indonesia and Middle East, there are emerging strong and unique anarchism movements. Now, you can see the anarchistic thinking and attitude in every corner of the globe. With the term “Global Anarchism”, I would like to describe such phenomenon.


 私は先ほど紹介した小冊子のなかで、この20年ほどの間に登場した「新しいアナーキズム」と呼ばれるものがどういう性格のものかを特徴付けました。
 In the leaflet, I pointed out some characteristics of “new anarchism”, which consists of the global anarchism that has emerged in the past twenty years.



 「新しいアナーキズム」については、いろいろな定義がありますが、一言で言えば、「いまここで」理想的な人間関係を作り出し、個人がアナーキーな態度をとることであり、それこそが「革命」であると見なす、そのような特徴があります。
 There are many definitions of this “new anarchism”, but if I try to define it very simply: the “new anarchism” aims to make an ideal human relationship here and now, and also tries to take an anarchistic personal attitude in every situation. To realize such a relationship, or to take such an attitude, is for many “new anarchists” the “revolution”. These are the main features of new anarchism.

 したがって、未来社会を具体的に構想することや、その実現に向けて運動を展開することも、そして、社会をトータルに変革する革命も目指しません。むしろ、そのような長期的な目標を定めないこと、自分たちの展望や目標について、結論をオープンで多様にしておくことが重視されます。
 The new anarchists, therefore, don’t aim to draw up a blueprint of the future society; they don’t want to develop the movement for such utopia; they don’t struggle for such revolution which changes the whole world. But they think it is very important to not set up a long-term program, perspective or aims; they prefer to make conclusions that are open and diverse.


 そのかわりに強調されるのは、人びとの日常における人間関係や態度、振る舞いの重要性であり、「今ここで」の革命です。人間関係や態度、振る舞いに関して強調されるのは、ヒエラルキーにとらわれない行動と組織、水平的なネットワーク、運動の多様性です。特にこの多様性は重要です。ときには対立する見解を持つ人びとを運動から排除しないという原則があります。逆に言えば、統一性に固執しないという特徴があります。
 They rather stress the importance of changing the human elations,   attitudes and behavior in everyday life; I would like to call this idea or tactic as other scholars have, “revolution of here and now” or “revolution in everyday life. ”



 彼らの多くは若者であり、パンク、レゲエやヒップ・ホップから影響を受けた人が多いです。彼らのほとんどはアナーキズムを知らず、エコロジーやフェミニズムの運動、あるいはパンクバンドで活動していた人たちです。
  Many of them are young people who have been influenced by music scenes, such as punk-rock, reggae or hip-hop. Most of them don’t know the history of anarchism, but they had many experience as activists in the ecology movement, feminist movement and many music scenes.


 彼らの運動のありかたは多様であり、アナーキストが主体であることにこだわっていません。たとえば、動物解放運動やフード・ノット・ボムズの活動は、伝統的なアナーキズムにおけるメインテーマではありませんが、世界各地でアナーキストが関わっています。
 Their movements are very diverse, and they don’t care whether anarchism is main theme among them or not. Such activities like animal liberation or to share the vegetarian food with poor people were not the main themes of traditional anarchism, but so many new anarchists in the Philippines, Europe and in other places have participated in the activities of Animal Liberation Front or the “Food Not Bombs”.


 私は、こういった運動の多様性の中に共通した特徴があると思っています。それは、ミクロな生を問題化している、という点です。
 I think that most of these diverse activities have their common feature: to concentrate on the micro “life.” 

 19世紀以来、アナーキズムの主要な目標は、国家を破壊する、あるいはゼネストを行う、といったことでした。
 From the 19th century, the main theme of traditional anarchism, is the destruction of the state, or realizing a general strike.


 しかし新しいアナーキズムは、もっとベーシックな人間の生活そのものを問い直しています。それは、じぶんたちの生が、自らの意志にかかわりなく、グローバルな資本が作り出す世界に巻き込まれている、という状況を彼らが強く意識しているからではないか、と考えています。
 But the new anarchists are questioning more basic matters, such as how we manage “life” as human beings. Because they are very aware of such situations in which their life are entangled in the world of global capitalism. 

 グローバル・アナーキズムという現象は、こういった特徴をもつ「新しいアナーキズム」によって構成されています。
The new anarchism are consists of such many factors which I have pointed out.


 ガブリエル・クーンさんは、このような現状に対して、次のような問題を提起しました。
Gabriel Kuhn raised the following problem.  
 
 アナーキストはインフォショップや共同のカフェを経営することで満足すべきではない。多様性を超えて統一的戦略を立て、資本主義と国民国家に効果的な打撃を加える必要がある。単なるサブカルチャーではなく、統合した思想を持つ必要がある。さらに、現在以上に密接なネットワークを構築し、政治的なパワーを持つべきである。”


 Anarchist shouldn’t be satisfied with managing infoshops or the café collectives. They should have an integrated strategy beyond their diversity to effectively deal a blow to capital and the nation state. They should not be only a simple subculture, but also have more integrated thinking. They should construct their network more closely. With such efforts, they will have stronger political power. 


  これに対して、シンポジウムでコメンテーターだった仲田さんは、次のように答えました。
In this symposium, one of the commentators, Norihito Nakata, criticized this proposal for the following reasons. 

 ”アナーキズムはあらゆる支配を拒絶するため、反グローバリゼーション運動でも戦術の多様性を理念にしていた。そのため、その理念を実現することを誰もが重きを置いていた。クーンさんはこういった多様性が革命的な展望に結びつかず、グローバルな抵抗勢力とならないことを批判している。だが、そのような理念そのものがラディカルであり、この実践そのものが理念なのである。そのような運動の「アナーキー」を肯定し、その理念=実践をより洗練させていくことがグローバル・アナーキズムの現在と未来の焦点である。”
 He said that the most important ideal of anti-globalization movement is the diversity of tactics because Anarchism denies every rule. Everybody who participated in this movement regarded this ideal as very important. Gabriel said that such new anarchist’s diversity of tactics doesn’t make a revolutionary vision that will make the new anarchism a force of global opposition.
 But we shouldn’t overlook the radicalism of such an ideal itself; when we see the whole practice of new anarchists, we can recognize that their practice explains what their ideal is. Their practice of diversity describes the “anarchy” of their movement. Elaborating this ideal=practice is the focus of Global Anarchism today and in the future.

 私の知人も、クーンさんよりも、仲田さんのこの見解を全面的に支持するという感想を述べていました。展望・戦略・団結を追求すると、運動は魅力を失う、ということでした。私自身も、そうです。
 One of my friends told me that he agrees with the comment of Nakata. If the anarchist movement pursues its integrated program, strategy and solidarity, the movement will be unattractive. I also agree this opinion.


  ただし、ガブリエルがそのような問題提起をしているのは、およそ日本では想像もできないようなアナーキズム的な運動の波がヨーロッパにあるという背景があったからだと私は思います。
But I can also understand the proposal of Gabriel, because in Europe there is a widespread anarchistic movement. Here is an image of huge demonstration in Frankfrt am Main in Germany, on 31 March of 2012, for example. 

 ここで、2012331日にギリシャに対するEUによる緊縮財政政策に反対してギリシャに連帯するフランクフルトでのデモの映像をお見せします。同様のデモは、ヨーロッパ各地の大都市で一斉に行われていますが、フランクフルトで行われた意味は大きかったと思います。ギリシャに自分たちの税金が投じられることに対して一番不平を述べていたのはドイツ人だと報じられていましたが、そこでこのような大規模なデモが起き、ギリシャと連帯の意思を表明していたのですから。では映像をごらんください。
They were protesting against the EU’s spending policy applied to Greece and expressing their strong feeling of solidarity with people in Greece. The same day, there were many demonstrations in other cities in Europe. It was a simultaneous action [show the movie].

2.アナーキズムは「新しく」なったのか、100年前と変わっていないのか
 先ほどお話ししたシンポジウムの報告をまとめたパンフレットについての感想の中には、「新しい」と呼ばれる現代のアナーキズムの特徴は、100年前の日本のアナーキズム運動にも見られるから、取り立てて新しいとは感じられない、という指摘がありました。本当にそうでしょうか。
2. Is this anarchism “new”, or has it never changed over these 100 years?

 This question came from one of the colleges where I teach. In other words, the idea that the recently resurgent anarchism  has the same features as the anarchism of a 100 years ago.



  ガブリエルが指摘したように、現代のグローバル・アナーキズムにおいては、「今ここで」の革命が重視され、遠い未来の革命や未来社会の構想は主要な争点ではありません。しかし、1990年代以前には、革命や未来社会の展望というものは、アナーキストたちの間で最大の争点でした。19世紀末、彼らはお互いに自分の考えの正しさをめぐって争っていました。とりわけ重大だった争点は、革命の手段と未来社会における所有の在り方でした。
In Global Anarchism today, it seems like most anarchists regard the revolution in everyday life as the most important thing. For them the revolution and utopia to would be realized in the distant future are not so important. But before 1990, among the anarchists everywhere, the most important theme was revolution and the future post-revolution society. At the end of 19th century, anarchists in Europe and United States debated the rightness of these two positions. The most important thing was the means of the revolution and the question of property in a future anarchist society.



 社会主義的アナーキストは、暴力革命を通じて国家を破壊し、生産手段や富を共有化した未来社会を描きました。個人主義的アナーキストは、暴力革命によって社会を変えることは、専制的な権力を生み出すという理由から反対し、既存の社会の中での様々な活動を通じて社会を変えることを目指しました。また、生産手段や富の共有化も圧政につながるため、労働に応じた富の配分を主張していました。しかし、社会主義的アナーキストたちはこれを嘲笑し、個人主義者はブルジョワだと非難しました。
 The socialist anarchists advocated the future society where the means of production and property are held in common after destruction of the state through violent revolution. On the other side, individualist anarchists opposed violent revolution, which leads necessarily to tyranny. They proposed to change society through multiple activities in capitalist society. They also opposed communism because they thought common property must lead to tyranny; they pointed to the distribution of wealth according to one’s work. Socialist anarchists ridiculed individualist and as accused them of being “bourgeois.”


  それから100年が経過した1996年、マレー・ブクチンが「社会的アナーキズム」を擁護して「ライフスタイル・アナーキズム」を非難しました。これに対してブクチンに対する反論がなされました。ここには100年前と全く同様の構図が見えます。100年前なら、前者が社会主義者、後者が個人主義者です。
A 100 years later, Murray Bookchin (1921-2006) supported “social anarchism” and attacked so-called “lifestyle anarchism.” Some anarchists criticized Bookchin and defended “lifestyle anarchism.”. Here we can notice that there is almost same dispute as the oe 100 years ago between socialist anarchists and individual anarchists.


 100年前、個人主義的アナーキズムは、アナーキストたちのなかではマイノリティでした。そして、現在のライフスタイル・アナーキストは、どちらかといえば個人主義的アナーキストに連なります。しかし、ブクチンが非難したプリミティヴィストのジョン・ゼルザンや、一時的自律ゾーンを唱えたハキム・ベイは、ともに反グローバリゼーション運動における参加者に多くのインスピレーションを与えてきていました。100年前と異なり、個人主義的アナーキズムの系譜のほうが、現在では共感を得ています。
  100 years ago, individualist anarchists were only a small minority. Lifestyle anarchism is very similar to the individualist anarchists of 100 years ago. But the lifestyle anarchists such as the primitivists John Zerzan and Hakim Bay who demonstrated the Temporary Autonomous Zone, have powerfully inspired the participants in the anti-globalization movement.This is quite different from the situation over a 100 year ago. Today, the individualistic current of anarchism enjoys more sympathy in the movement.


 その背景には、ソ連・東欧社会主義圏の崩壊があります。トータルな社会革命を通じた単一のシステムによる社会主義社会は、かつて個人主義者が指摘したように圧政を生み出したわけです。もちろん、1920年代以来、アナーキストもソ連型社会主義に反対していました。しかし、アナーキストたちがそれまで主張してきた革命とユートピアもまた、どこかでソ連型社会主義と共通性を持っていました。
The background of this situation is a collapse of the Soviet Union and the Eastern Europe socialist bloc. The monolithic socialist society created through a total social revolution produced the tyranny individualist anarchists had predicted. Of course, since the 1920s, anarchists also opposed the Soviet-type socialism or communism. However, revolution and utopia envisaged by socialist anarchists resembled, in several respects, such Soviet-type socialism and communism.



 また、19世紀を起源とする国家社会主義とアナーキズムは、ともに近代文明を前提としており、技術革新や生産力の発展の力に基づいて、ユートピアを実現できると想定していました。しかし「成長の限界」やエコロジーの危機、さらに、大量生産・大量消費社会が生み出す様々な問題を視野に入れると、文明の権威性や抑圧性を批判的に捉えざるを得ません。
 In addition, state socialism and anarchism in the 19th century had the same premise of revolution and utopia. Their plans are based on the development of modern civilization, endless increases of production, and technological innovation. However, if we think of such problems as “The Limits to Growth” or the crisis of ecology, as well as various problems that mass production and mass consumption society produces, we have to criticize modern civilization’s authoritarian and oppressive aspects n.


 1980年代以降、アナーキズムはこういった状況にあわせて変化を始めていたと思います。ブクチンは、その時期にエコロジカル・アナーキズムを提唱した重要な思想家と見なされるようになっていました。
 I think that since the 1980s, anarchism began to change to fit these situations. In that period, Marry Bookchin was regarded as an important thinker who advocated ecological anarchism, but at the same time, some people noticed the problems of his modernist oriented or civilization oriented thinking.


  アナーキズムの潮流が変化したもう一つの重要な要因は、フェミニズム、そして、フーコーの権力論だと思います。これらの思想に基づけば、あらゆる個人的な関係性の中で権力が発見され、批判されていくことになります。これにより、権力がない社会というユートピアは、それまで以上に描くことが困難になり、暴力革命についても、その抑圧性が問題とされるようになります。
 Another important factor that changed the trend of anarchism, was feminism, and, I think, the power theory of Michel Foucault. Based on these views, we must recognize that power relations exist within every corner of human relationships,  . Even with regard to anarchist revolution and utopia we cannot destroy or diminish this power and authority. It is more difficult to describe utopia; anarchists couldn’t avoid discussing the authoritarian, suppressive characteristics of anarchistic revolution.

 これ以外にも様々な要因が考えられますが、ここでは以上の点にとどめておきます。アナーキズムがどう変わったのか、という点については、いまだに検討されていません。
 There are other factors that led to changes in anarchism by the end of 20th century, but today I cannot go into more detail. More attention needs to be paid to the changing process of anarchism in the end of 20th century.

 ここでは試みに、日本の運動スタイルをくらべてみたいと思います。ひとつは1990年頃のアナーキストによるデモの写真です。これと、2012年に東京の少し郊外の街で行われた反原発デモをくらべてみます。さらに、今年の629日に東京の中心部で行われたデモです。
 まず、この昔の写真は、あまりよい比較対象にならないかもしれませんが、ここからわかることは、90年の初頭、アナーキストによるデモは、国家や天皇制の破壊といったスローガンはありましたが、統一性という特徴があったように思える、ということです
 Today, I would like to attempt to compare the old or traditional style of anarchism movement to the new style of social movements in Japan. The first photo is from a demonstration of anarchists around 1990. I'll try to compare this to this video of the 2012 anti-nuclear “Halloween” demonstration that took place in Kunitachi, a city in the west of Tokyo. The next video is a demonstration that was held in Shibuya in the center of Tokyo on June 29 of this year.


 黒い服とヘルメット、黒旗を掲げる、そういうスタイルです。ここにアナーキストがいるぞ、ということを示しているのでわかりやすいです。また、全体として軍事的な性格を持っています。
  First, the old photo is not a good example, but, it was demonstration by anarchists in Hiroshima.  There were traditional anarchist slogans, such as destruction of the state and destruction of emperor state system, and it was characterized by uniformity. Black clothes, helmets, and black flags; this is the traditional style. This style also makes it very easy to understand that an anarchist demonstration is being hel. But this old traditional style had a military nature as a whole.


  2012年の反原発デモは、ハロウィーンデモで、参加者の多くはお化けに仮装しています。
 歌がありダンスがあり、ファッショナブルで、年齢も男女構成も雑多です。
 最後に見た2014年6月29日のデモは、現在の政権に対する怒りを表明するデモです。ブラスバンド、ドラム、ダンス、クラウン、ヒップ・ホップ、オリンピック反対、原発反対、といった多様な要求がプラカードに掲げられています。
 I notice that in the anti-nuclear demonstration of this year and the Halloween demo of 2012, many of the participants dressed in fancy or fashionable costumes. There were skits, songs and dances. The diversity is very clear; there are not only men, but also women; young people, children and old people; as a whole, the structure of demonstration is miscellaneous. The demonstration in the second video clip, which we have seen, expressed anger against the current regime, opposition ot the 2020 Tokyo Olympics  and to Japan’s nuclear power policy; there was a brass band, drums, dance, crowns, hip-hop; we can see that various demands appear in the placards and are voiced by the demonstrators.


 これらのデモは、アナーキストによるものとは言えません。しかし、これは、グローバル・アナーキズムと呼ばれる様々な特徴を持っています。開放性、多様性、水平方向の関係性です。では1990年代以前はどうだったのでしょうか。
  Such demonstrations are not considered to be the result of anarchists. However, we can see the important features of global anarchism: openness, diversity, and horizontal relationships. In contrast, what were the demonstrations or the social movement as a whole like in 1990s Japan? 

  第二次世界大戦後から2000年代初めまで活動した日本のアナーキスト、向井考さんは、1920年代から2000年代初頭までのアナーキズム運動を、ある点で否定的に捉えています。
Kou Mukai
 彼によれば、この時期の日本のアナーキズムは、勢力を拡大していた共産党もしくはボリシェヴィキの思想や運動から強く影響を受けていたと言います。「憎しみ合うものは似る」という法則性がここに当てはまるのだということです。向井さんは、自戒を込めて、第二次世界大戦後以降から近年まで、日本のアナーキストたちは社会主義的だったと述べています。
Kō Mukai, one of old Japanese anarchists, who was active from the end of Second World War until the early 2000s, wrote in this book “Anarchists: the people who have no name”, which was published in 2005, after his death in 2003 [show the slide]. In it he writes that the Japanese anarchism movement until today, from the 1920s, had many negative dimensions. Anarchism of Japan during this period was strongly influenced by the ideology and practice of Japanese Communist Party, the Bolsheviks. Mukai wrote that “two persons with hatred for each other, resemble each other.He said that Japanese anarchists (including himself) had strong characteristic of socialists from after World War II until recently. 


  私も向井さんと同じ意見です。おそらく、ロシア革命が始まる前までは、ヨーロッパやアメリカにおけるアナーキズム運動のスタイルは、当時の市民や労働者の運動、さらには、敵対する社会民主主義運動から少なからぬ影響を受けていました。したがって、今日から見れば、当時のアナーキストの運動はずいぶん権威主義的に見えます。
I agree with Mukai. I think that before the Russian Revolution begins, the style of anarchist movement in Europe and America were influenced by the style of political or social movement of the middleclass, workers, and social democratic movement, because many anarchists participated in such movements before they became anarchists. We can find many authoritarian features in the movements at the time.


 ただし、ロシア革命が始まるまで、運動の多くは、開放的で多様性を認めるものだったという証言があります。その後も、こういった実践の在り方は引き継がれたところもあるとは思いますが、共産党との勢力争いを意識するようになると、あるいは、そういったものから意識的・無意識的に影響を受けると、アナーキズムは、自分が敵対する相手に似通っていった、と思います。
 However, there is also much evidence that before the Russian Revolution, many in the anarchist movement had such features like openness and diversity. I think, after the Russian revolution, the anarchist movement took over such features until today in some points. But in the period of struggling with the Communist Party, consciously or unconsciously, so many anarchists began to be influenced from the ideas and practice of communists. In that process, anarchists became very similar to their opponents against whom they had strong hostilities.
 
 現在のグローバル・アナーキズムの起源は1968年にあると言われていますが、私は、その頃からさらに変化したと思っています。いわゆる左翼主義的な思考や態度、言葉の使い方は、90年代までのこり続けていたと思います。変わったとすれば、おそらくそれ以降だと思います。
Some people point out that the origin of the current global anarchism is the movement of 1968. But I think that the anarchism changed further on from that time. So-called leftist thinking, attitudes and words have remained until the 1990s. I think that the bigger change occurred later.

  ただし、19世紀以来、アナーキズムが社会民主主義や共産主義と大きく異なる点がありました。それは、今、ここで、自由で平等な関係性を作り上げることができなければ、自由で平等な社会を建設することはできない、という主張です。この主張は、サンディカリズム、アナルコ・サンディカリズムの中でも繰り返され、IWWの綱領にも表れるものです。
  However, since the 19th century until today, there is a great difference that divides anarchism from social democracy and communism. It is a sort of principle to make a free and equal relationship here and now. If you couldn’t make such relationship here and now, it is not possible to build a free and equal society in the future. We can see the same principle in syndicalism, in anarcho-syndicalism, and even in the preamble of the IWW.

  おそらく、140年前から今日まで、アナーキズムが変わっていないのはここです。アナーキストは、この原則がリアリティを持っている、ということを、自分たちの運動の中で体験していたからこそ、そのように主張し続けたと思います。つまり彼らは、多様性を認め、外部に開かれた、緩やかで暖かみのある人間関係を基盤にする運動を、その時代ごとに、何らかの形で実現し、体験していたのです。
Perhaps, this is the primary characteristic of anarchism, which hasn’t changed in the past 140 years. I think that anarchists can think this principle has a reality precisely because they had the experience free and equal relationships in their movement. In other words, they experienced in every period such a situation in their movement, based on diversity, openness to the outside, loose and warm human relationships.


 ある程度運動が長続きしたところでは、多かれ少なかれ、そのような人間関係を基盤にした運動が成立していたと思います。それは、参加している人々が、「このような社会がいずれ実現するのではないか」と思わせるような、オルタナティヴの社会だったとも言えます。
We can find some long-lasting movement in the history of anarchism. I think that such movement could be based on the free and equal human relationship in which most people who are participating could experience a sort of alternative society, and they could believe in the realization of such a society in the future


  最初の問題に戻ります。私たちが目の前にしているグローバル・アナーキズムという現象は、新しいのでしょうか。たしかに、共産党が現れる以前の時期の運動と似通っている点はあります。
I will return to the first point. Is this phenomenon of so-called “global anarchism” new or old? Certainly, we can find in global anarchism some characteristics that are very similar to the previous period before Communist Party appears.

  しかし、それぞれの時代ごとに実践が異なります。現代のグローバル・アナーキズムは、アナーキーという理念を「今ここで」の実践の中で実現させることを、これまで以上に意識している、という点で、これまでのアナーキズムとは異なっているように思えます。それは、革命や未来社会の実現という伝統的な目標に縛られなくなったからだと思います。
 However, there are different practices for each era. Global anarchism is more conscious of realizing the ideal of “anarchy” here now” by their practice in everyday life. This is very different from the anarchism before 1990. I think it’s because anarchism is no longer bound by the traditional goal of anarchism: realization of the revolution and the future society.

 
 しかし、そうなると、社会に効果的な打撃を加えることはできないのだから、アナーキズムは無力だということになるのでしょうか。アナーキズムとはいったい何なのでしょうか。
Gabrile Kuhn pointed out that such anarchism is powerless because they couldn’t deal an effective blow to the state and capital. Then, what is anarchism for us?

3.アナーキズムとは何か
 先ほど述べた向井考さんの見解を紹介します。彼によれば、アナーキズムの運動とは、日常生活や人間関係であり、その中で、アナーキズム的な「やり方」「取り組み方」を追及することです。
3. What is anarchism?

  According to the Mukai, the “practice of anarchism” is our daily life and relationships, in which we pursue some anarchistic ways” and “approaches.”   

 向井さんによれば、1920年代以前には、そういった運動が日本にありました。そこから学ぶのであれば、21世紀の運動が目指すのは「無秩序の秩序」であるべきです。そしてアナーキズム運動は、個人的で私的な性格を持つべきです。これが向井さんのアナーキズム論です。このように向井さんは主張しています。
  Mukai also pointed out that before the 1920’s there was also such movement in Japan. If you learn from this old movement, the aim of anarchism in the 21s century should be a disorder of order.” And also the anarchism movement should have a personal and private nature. This is the point where Mukai arrived shortly before his death. 


  第二次世界大戦前、日本が軍国主義的になっていく1930年代に活動し、戦後になっても活動を続けた「無名の」アナーキストたちの歴史を、向井さんは明らかにしています。その中で向井さんは、そういった日常や人間関係の重要性を指摘しています。
  Mukai found out in the Japanese anarchist history before World War II, many unique activities of "anarchists “who had no name.” They continued their activity in the period when Japanese state and society became more militaristic, and after the war. Describing such history, Mukai makes very clear the importance of activity based on everyday life and human relations.


 向井さんが紹介する「無名の」アナーキストのなかに、神戸の仕立て職人で笠原勉さんという人がいました。1925年、18歳ぐらいからアナーキズム運動に関わりはじめ、やがて神戸で活動をする人です。共産党を含め反体制的な運動に対する弾圧が強まった時に、彼は連絡が取れる同志たちに、自由な形式の詩を作る会を結成するからこれに加わるようによびかけました。
 Among such anarchists, I want to introduce a tailor named Kasahara Tsutomu, who lived in Kobe. From 1925, when he was around the age of 18, he became involved in anarchism movement. When the repression intensified against whole oppositional movement, including the Communist Party and anarchists, he send messages to his comrade as much as he could, and called for others to join to the association to make a free verse, or free styled poem. 


  会のルールは、はがきに詩を書いて笠原さんのところに送る、ただし、警察につかまるような内容のものは書かない、というものです。呼びかけに応じた人たちは、詩など書いたこともない人ばかりで、上手にかけたものなどなかったといいます。それでも、はがきに何でもいいから、詩のようなものを書いて笠原さんに送ったそうです。
The only rule of this association was, write your poems in the post card and send it to Kasahara, but you don’t have to write a poem which has such a content as could be detected by the police. Most comrades had no experience writing such poetry, and there were few well-written ones. Nevertheless, they wrote something like poetry and sent it to Kasahara.


 活動家たちのはがきですから、すべて当局がチェックします。したがって、検閲済みだから大丈夫だろう、ということで、笠原さんは、その詩を集めて詩集を出しました。この活動は1年以上続いてから、弾圧を受けて詩集を出せなくなったそうです。
They could predict that police check every postcard because it is written and sent by anarchists. Kasahara collected these censored postcards and issued a leaflet of the poetry of association. This activity continued for more than one year, before the whole anarchist activity was suppressed.


  その後、1939年、笠原さんは自宅を詩の会の本部にしていたようです。同志が7名ぐらい集まると、笠原さんの自宅から歩いて10分ほどのところにある滝までみんなで行き、そこで様々なことを叫び合ったということです。これがその滝の写真です。
Then, in 1939, Kasahara made his home the meeting point for the poetry association. When seven or eight comrades gathered, they walked ten minutes from Kasahara’s home up to the waterfall, where they shouted various things. This is the photo of the waterfall.

 
布引の滝
滝の名は、布引の滝と言います。水の流れが布を引っ張ったような形だからでしょうか。

 笠原さんは自宅を「布引詩歌社」と呼んでいたそうです。滝の名前からつけられていました。
 さて、警察も誰もいないところで、彼らは滝の轟音が響き渡る中、大声でいろいろなことを声に出したそうです。
 The name of this waterfall is “Nunobiki”, means pulling the cloth. Kasahara called his home the Nunobiki poetry association.” Among the echoing waterfalls roar, because there were no police watching , they shouted various things.


 名目上は詩を歌う会ですが、実際には労働歌や革命歌なども歌っていたようです。大きな声を出すだけで警察から逮捕されるような時代だったので、こういうかたちで声を出す以外に方法がなかったのです。
 Nominally it was a meeting to sing a poem before the waterfall, but in fact they sang songs of labor and revolution. It was such a time when if you only spoke out on the street or in your room, you could be arrested. They had no means to speak aloud, other than this form.

  彼は、詩集が送られてくると、同志たちとのつながりを自覚した、詩集がなくなったときでも、はがきに詩を買いて同志に送る、という行為を続けることで、戦時中も何とかナショナリズムに巻き込まれなかった、と回想しています。
He recollected that when the issue of poetry arrived, he could be aware of the connection between comrades. He was not narrowly involved in nationalism even during the war because he continued to write and send the postcards with poetry to his comrades.

 
  詩集が出せなくなったあとも、小松原さんというアナーキストは、はがきに詩を書いて同志に送る、ということを戦時中もやっていたそうです。 その人によれば、アナーキストたちも、戦前から戦中にかけて、時代の雰囲気に飲み込まれて、日本のナショナリズムのプロパガンダに乗せられてナショナリストになっていきました。
One anarchist recollected that after Kasahara couldn’t issue poetry leaflets, and even during the war, he and some anarchist continued to write poems on postcards and sends them to comrades. So many anarchists became nationalist under the influence of propaganda in the 1930’s and through wartime. They were swallowed by the atmosphere of the age.


 はがきと詩でつながる人間関係を継続することで、彼らは戦争が終わってから、再びアナーキズム運動に参加します。形式にとらわれない詩として次のようなものが残されています。
 By continuing the relationships by writing and sending the free styled poetry in the postcard, they could participate again in the anarchist movement after the war. The following is one of such free styled poem.


 ”ちょうちょうがとんでいく。ちりんちりん、豆腐売っていく道 誉れの家二軒”
“Butterfly goes flying. Ring, ring, on road of selling tofu, two “house of our honor”


 戦死者を出した家には、「誉れの家」と書かれた木札がかけられていたそうです。この詩に出てくる「誉れの家」はそのことです。
“The house of our honor” is the house of fathers and sons who had gone to the war and died. During the Sino-Japanese war from 1930’s and during the World War II, Japanese authorities decided to put the small wooden plate on the entrance of every such house, on which was written: “house of our honor.” 

この詩を書いたのは、豆腐屋をやっていた小松原さんという人で、1940年に逮捕されていたそうです。戦後も豆腐屋さんでアナーキストだったそうです。しかし彼の詳しい履歴は、生前に聞いた話などもありましたが、もはや調べようがないようです。
 This poem was written by an anarchist Komatsubara who sold tofu. He was arrested in 1940, but he continued to sell tofu after the war. But it’s impossible today to investigate his detailed history. He is one of the anarchists who have “no name.” He was one of a few anarchist who walked against the flow of time. 
 このエピソードからは、社会全体の風潮から自分を守ることは大変だということがわかります。流れに巻き込まれず、あえて踏みとどまり、仲間と地道な関係を作り続けるのは、実際には難しいと思います。生きるためにお金を稼ごうとすれば、社会の流れに乗る必要があります。
We can learn from the whole episode of the poetry association that it’s very difficult to protect yourself from the overall trend of society. But by continuing steady relationship with comrades, you don’t have to be caught in the strong tide of social trends. You can imagine that it is actually difficult to continue. If you have to live in this society, many think it better to ride with the flow of society, whether it is wartime or peacetime.

  軍国主義社会であれ現在の資本主義社会であれ、画一化された社会は人々の思考や行動を抑圧し、画一化していきます。今日では、詩を作ることや歌うことさえ、商業化されています。カラオケがなければ歌う機会がない社会になっています。歌で自己表現ができるのは、ロヴィックスさんのような人に限られていってしまうのではないでしょうか。
Whether it is a militarist society or capitalist society, standardized society suppresses the thinking and behavior of people, and they are standardized. Today, even singing and making poetry, has been commercialized. In Japanese society, there are so many people who don’t have the opportunities to sing songs without Karaoke. I’m not sure, if such people sing a song loudly before the waterfall today. I think that there are fewer and fewer people today like David Rovics who can express themselves in a song.
 
 ここで、日常生活や人間関係をアナーキズムの実践として重視するという話に戻します。この点について、100年前、ドイツのアナーキスト、グスタフ・ランダウアーは次のように述べています。
 Here, I go back to the theme that anarchism emphasizes everyday life and relationships as its practice. Regarding this point, 100 years ago, the German anarchist, Gustav Landauer said:


Gustav Landauer

机は転倒させることができる。窓ガラスは割ることができる。国家もそういった何か実体のあるモノであるかのように、あるいは呪術で用いられる物神(Fetisch)であるかのように語り、「国家を破壊することができる」などと主張する人々がいる。だが、彼らはそう言って見栄を張っているか、言葉を実体と取り違えて言葉そのものを崇拝しているだけなのだ。国家とは、人と人との間にある関係であり、人と人との間にある行動や振る舞いのあり方である。人々が今とは異なる関係を取り結び、今とは異なる行動や態度を取ることによって、国家を破壊できるのである。”
One can overturn a table and smash a windowpane; but they are puffed-up word-spewers [Wortemacher] and gullible word-adores [Wortanbeter], who hold the state for such a thing -akin to a fetish - that one can smash in order to destroy. The state is relationship between human beings, a way by which people relate to one another; and one destroys it by entering into other relationships, by behaving differently to one another. (Gustav Landauer, ‘Weak Statesmen, Weaker People’ (1910), in: Anarchism, A Documentary History of Libertarian Ideas, Vol. 1: From Anarchy to Anarchism (300CE to1939), ed. R.Graham, Black Rose Books, 2005p.165)

 この10年間で、特に下線を引いた部分の言葉は、アナーキズムに関する英語文献でよく言及されるようになっています。
 自分たち自身がシステムの再生産に関わっているということを、多くの人々が認めざるを得ないからではないか、と思います。
 ランダウアーが述べている「今とは異なる行動や態度」が何であるかは、各自の想像力にゆだねられています。向井さんが述べていた、日常的な行動や人間関係のことなのかもしれません。
In the past ten years, this idea has come to be mentioned often in the English literature on anarchism. I think that there are more people who have begun to believe that they can’t help being involved in the reproduction process of the system. What does it mean to have “other relationships” and “behave differently”?  It has been left to our own imagination. I myself imagine it could be the action and relationships in everyday life that Mukai once spoke of.


 最後に、グローバル・アナーキズムという現象の中での、アナーキストの人間関係を考えてみたいと思います。
 現在の事例については、小冊子の中で樋口さんが描いていますので、私は、いまから90年前の日本、アメリカ、ヨーロッパをつなぐ関係について紹介します。
Now, toward the end of this talk, I want to consider the relationship of anarchists to the phenomenon of global anarchism. I’ll look at some current cases of the world described by Takurō Higuchi, then I want to introduce some historical example of relationship that connected Japan, United States and Europe.

 192391日正午頃、東京を中心にしてマグニチュード7以上の大地震が起きました。10万人以上が死亡もしくは行方不明、190万人以上が被災しました。このとき、たった10日ほどの間に、東京の市民が朝鮮人を虐殺しました。その数は2千とも6千ともいわれています。原因は朝鮮人が大挙して日本人を襲っているなどのデマでしたが、政府や警察がこれを否定しなかったという点が最も重要な要因だと言えます。
 Around noon on September 1, 1923, a major earthquake of magnitude 7 or greater occurred in the Kanto region. In Tokyo, more than 100,000 were dead or missing, and more than 1.9 million people were impacted by the disaster. At the same time, in just 10 days, citizens of Tokyo killed many Korean residents. Nobody knows how many Korean people were killed, but it is estimated that more than 2 thousand or 6 thousand were killed. One of the causes of this atrocity was a groundless rumor that a huge number of Koreans had attacked Japanese people, but the most important factor was the attitude of government officials and the police, who didn’t deny this rumor.


 94日、労働組合の活動家で劇作家の平沢計七と労働組合活動家、合計10名が、警察署の中で、軍隊によって殺害されました。そのほとんどは20歳前後の若者で、30歳を超えていたのは平沢だけでした。彼らは炊き出しや行方不明者の捜索、警備などの先頭に立って活動していたところでした。
On September 4, Keishich Hirasawa, the famous playwright and labor union activist was murdered at a police station in Tokyo by the military along with nine other  young labor activists who were mostly around 20 years old; Hirasawa was only the victim over 30. They were active for distributing food, managing the kitchen outside, and searching for missing persons (photo).

 916日には、アナーキストの大杉栄とそのパートナーである伊藤野枝、そして甥で6歳の橘宗一が憲兵によって虐殺されました。大杉は、前年末、ベルリンで開催予定の国際アナーキスト大会に出席するため非合法で出国し、パリで逮捕されて7月に帰国したばかりでした。
On September 16, Osugi Sakae, his partner Noe Ito and seven-year-old nephew Tachibana Munekazu were massacred by the military police. Two month earlier, he had returned from Paris, after he left Japan in December of 1922 to attend an international anarchist congress to be held in Berlin. He ended up being arrested in Paris and deported to Japan.

 平沢らの殺害は、戒厳令下での適切な行動だったとして罪は問われませんでした。これに対して、大杉殺害に関しては、軍事法廷で裁判が行われました。しかし大杉以外に6歳の少年と大杉のパートナーも殺害されたということは、裁判が始まる109日までは報道統制によって報じられていませんでした。
  The massacre of Hirasawa and young comrade was judged by the authorities as an appropriate action under martial law. On the other hand, the murder of Osugi, Ito and Tachibana was prosecuted, and a trial was held in military court. However, the information about the murder of Ito and the 7-years-old boy was not reported until October 9 when the trial began because of control over the press.

 当時、22歳の印刷工で、延島英一という人物がいました。20歳で、大杉に見込まれて、大杉たちが立ち上げた労働運動社という組織に加わった人物です。英語が得意な人物でした。
 延島は、109日に大杉殺害の首謀者である甘粕大尉の裁判について報道が始まると、その記事を参考にしながら事件の概要や日本で起きた虐殺について報じる記事を日本語で書き、この文章を、英語のメモをつけて、シアトルで発行されていたIWW機関紙『インダストリアル・ワーカー』編集部に送りました。
 There was a 22-year-old printing worker named Eiichi Nobushima. At the age of 20, he was recruited by Osugi and joined the organization called the Labor Movement Association, which Osugi and his comrades ha established. Nobushima was good at English. In October 9, when the trial of the suspected leader of killing, Captain Amakasu, began, and the press began to report on this trial, Nobushima wrote a newspaper article in Japanese about the massacre and other incidents that occurred in Japan after the earthquake. With a letter in English, he sent the manuscript of the article in Japanese to the office of the organ of IWW “Industrial Worker” in Seattle. 

  英語のメモには次のように記されていました。

”英語で日本の現状について書く時間がない。そこで日本語で記事を書いたので、そちらの日本人同志に英訳してもらい、『インダストリアル・ワーカー』に掲載してもらいたい。そして記事を印刷した新聞をそれぞれロンドンの『フリーダム』、パリの『リベルテール』、ベルリンのサンディカリスト・インターナショナル本部に送ってもらいたい。世界にこの情報を発信してもらいたい。”
Nobushima wrote in the English letter the following:

  ‘Comrades of the Industrial Worker: The article in Japanese enclosed herewith is very important. We are now confronted with the great danger of being arrested or murdered. We have no time to write you of the present situation of Japan in detail, so I write it in Japanese in a very hurried manner. Have some Japanese comrades there translate it for you.’ ‘When you print it please send marked copies to the Syndicalist International of Berlin, the Freedom Press of England and Le Libertaire of France. (‘Workers murdered in Japan’, Industrial Worker, October 31, 1923, p.2).

 それから3週間後に刊行された『インダストリアル・ワーカー』1031日号には、以上の記事が全文掲載され、新聞のヘッドラインには「日本で労働者が虐殺される 殺害されたのは数百名 大杉と平沢を含む 女子どもも虐殺 残忍なる所行 責任は日本政府にあり」「政府からの命令による一斉検挙の中で社会主義者とアナーキストが殺害される」と大見出しがでていました。
Three weeks after this letter was written, it was published on the issue of Industrial Worker of October 31. On the headline we can see the words [PDF File]: ‘Hundreds killed; Osugi and Hirasawa Among Number; Women and Children Slaughtered; Ruthless Barbarity Shown; Japanese Government Responsible.’ ‘Socialists and anarchists killed in round-up ordered by government.’


 同年11月、ロンドンで発行されていたアナーキストの機関紙『フリーダム』に、『インダストリアル・ワーカー』に掲載された記事の抜粋が転載されました。同紙の編集者は読者に次のように訴えています。

諸君に対して要請する。日本の権力者によるこの残虐行為を、所属党派にかかわりなく、すべての労働組合や社会主義者の組織に伝え、各組織が、ロンドン日本政府領事館に対して抗議するようにしてもらいたい。この行動によってわれわれの同志は戻ってはこない。しかし、今獄中にいるアナーキストと社会主義者を日本政府が殺害することを阻止できるであろう。”
 In November, on the anarchist organ Freedom published an article about the massacre in Japan with excerpts of the article written by Nobushima. The editor of Freedom appealed to readers in the following manner:We beg our readers to bring these atrocities by the Japanese authorities to the notice of any Trade Union or Socialist organisation to which they may belong, and to send their protests to the Japanese Ambassador in London. This publicity cannot bring back our dead comrades, but it may prevent the Japanese Government murdering any more of the Anarchists and Socialists now in prison.’ 

 ベルリンで発行されていたアナルコ・サンディカリスト機関紙『ジンディカリスト』には、次のような記事が掲載されています。
 In the same month, the anarcho-syndicalist organ Der Syndikalist, which was published in Berlin, also reported the atrocity in Japan, probably based on the article of Industrial Worker. The editor appealed to readers by saying:


地震の後から日本ではアナーキストとサンディカリストに対する大規模な迫害が始まった。916日、大杉栄とその伴侶である伊藤野枝、甥で7才の少年、Saichi Tachibanaが憲兵隊大尉によって殺害された。また、われわれの同志である平沢とその他20名以上の友人たちも殺害された・・・・・ヨーロッパとアメリカ労働者諸君。日本政府に雇われている制服を着た連中の悪行に抗議せよ。世界各地には、名目上は日本を代表してはいるが、現実には日本の資本主義と帝国主義を代表している人間と組織がある。彼らに対して伝えよ。大杉とそのほかわれわれの友人たちを殺したのはおまえたちなのだ、と。日本の革命的労働運動万歳。
“After the earthquake in Japan, there began huge persecution against anarchists and syndicalists. On September 16, Sakae Osugi, his partner Noe Ito, and his 7-year-old nephew Munekazu Tachibana were killed by the military police. Our comrades Keisichi Hirasawa and 20 other friends were also killed....Workers of Europe and United States: Protest against the atrocities by the uniformed men who are hired by Japanese government. In all countries, there are men and institutions who nominally represent Japan but in reality represent Japanese capitalism and imperialism. Tell them that they are the murderers of Osugi and his friends. Long live the Japanese revolutionary workers movement.”

 こうして、大変厳しい状況の中、22歳の延島がアメリカに送った記事は、太平洋を渡り、大西洋を渡り、2ヶ月も経たないうちに、アメリカとヨーロッパ各地のアナーキスト、社会主義者、そして労働者に伝えられました。延島は、手紙の中で次のように書いていました。
Written by Nobushima under very difficult circumstances, the article was sent to the United States; it was translated by an anonymous Japanese American in Seattle, then it was published by Industrial Worker; the issue was sent to Europe, and reported on in Freedom in London, in Libertaire in Paris and in Der Syndikalist in Berlin. In less than two months, the message of Nobushima was spread among the socialists, anarchists and workers of United States and Europe. I think it is because of the following words of Nobushima: 

 ”われわれは現在、逮捕されるかもしくは殺害されるか、というきわめて危険な状況にいる。・・・この情報を世界に発信してもらいたい。これは、諸君に対する日本の革命的労働者からの要請である。”
‘We are now confronted with the great danger of being arrested or murdered. […] You are requested to send this information in the world on our behalf by Japanese revolutionary workers.’
    
 この言葉が事態の緊急性を伝えています。
These words tell the emergency.

 さて、このようなことがなぜ起きたのか、ということを考えてみます。
 まず、日本のアナーキストたちは、平沢たちが殺害された亀戸を中心にして、労働者へのプロパガンダを試みたことがありましたが、その時に刊行した新聞の第一面が、これです。
 There are some reasons why it happened. Here is a newspaper issue for workers published in 1918 by anarchists in Kameido where Hirasawa and other 9 men were killed. You can see the illustration of a man.

 19136月にニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで開催されたパターソン・ページェントのポスターのデザインです。これは、IWWを中心にして労働者のストライキを支援するイベントでしたが、このデザインが世界中に広まったのは有名な話です。そして、5年後の1918年に、このように日本の新聞で使われていたのです。ここには、太平洋を越えたつながりが示唆されます。
 The origin of this is the poster of Paterson Pagent which was held by the IWW at New York’s Madison Square Garden in 1913, to help striking workers in Paterson. This design spread all over the world. In 1918 after five years, it was used in a Japanese worker’s newspaper. Here, you can see the trans-pacific connection.
 

 また、1921年に大杉たちが刊行した新聞『労働運動』に掲載されたカットを見ると、これは1917年にIWWが弾圧に遭ったとき、獄中の同志を救援するためにつくられたポスターに使われたデザインときわめて似通っています。
 19236月から10月まで、『インダストリアル・ワーカー』には日本に関する延島が書いた記事が掲載されています。また、それ以前から、延島の記事は、ロンドンのフリーダム、パリの『リベルテール』等にも掲載され、彼の名前は知られていました。アメリカとヨーロッパの同志たちが延島からの呼びかけに対して迅速に対応したのは、まず、日本とアメリカのIWWとの間で5年間培われてきた関係性によります。
 また、つい数ヶ月前まで、大杉はパリに滞在していましたから、『リベルテール』は大杉の殺害にすぐに反応したと思います。そして、そもそも『フリーダム』と『リベルテール』は、大杉たち日本のアナーキストたちにとって、国外の運動について重要な情報源でした。
  こういった関係性が生まれたのは、1910年頃にさかのぼることができます。幸徳秋水らアナーキストや社会主義者が無実の罪で絞首刑にされるまで、アメリカとヨーロッパの新聞はこれを報じ続け、処刑されたあとも彼らを追悼する記事を出していました。
 延島は、幸徳以来続けられてきた国外の同志とのつながりを、彼の前任者である大杉から受け渡され、それを活用したのだと考えます。
 This small illustration was published in the newspaper Labor Movement in 1923; this paper was established in 1921 by Osugi and his comrades, including Nobushima. The origin of this illustration is also the poster of the IWW; it was created in 1918 in order to rescue comrades from prison. In addition, before Osugi and the other were killed, there were some articles written and sent by Nobushima that were published in in Freedom and Libertaire. The long years of connection between Japanese anarchists and the IWW, and the connections of Japanese anarchist and European anarchists, were the reason why the American and European could respond so quickly.

 Also, until just a few months before he was killed, Osugi had stayed in Paris and visited the office of Libertaire. Because of that, Libertaire responded to Osugi’s death so quickly. And the first place to find out about the international movement was in the pages of Freedom and Libertaire, which were important newspapers for Osugi and others. This relationship was born back to 1910. When the anarchist Shūsui Kōtoku was hanged on trumped-up charges. The United States and European anarchist newspapers reported on the case even after he was executed and put out articles every years around the memorial day. It seems that Nobushima created connection with comrades outside Japan.


おわりに
 さて、以上の事例から、私は、次のような結論を導き出して、このお話を終えたいと思います。
 もし近所に、その前で大声を出して歌えるような滝がなければ、もし、詩を書いて送るような、気心の知れた人が身近にいないなら、死んでしまった大切な人の死を一緒に悲しんでくれる人がいないのなら、世界に目を向けることです。
 世界中に自分と同じ考え方を持ち、共感しあえる仲間がいて、彼らと交流し、連帯することができれば、この孤独で生きづらい場所でも、いまここで、もう少しがんばっていこうと思って上を向くことができるものです。グローバル・アナーキズムは、このような発想を私たちに与えてくれる現象です。どうもありがとう。
  From this story of Japanese anarchists, I think the following can be concluded: If there is no waterfall in your neighborhood to sing songs in front of, and if you don’t have friends around you to send your poems in a postcard, if you don’t have friends who grieve over the death of important persons together, you better look to the world. If there are such people who think like you do, who sympathize with you; if you can interact with them, if you can take action in solidarity, you can live more, even in this lonely and hard world; you can be encouraged to walk with your head raised  high; you can think that you go a little more, here and now. Global anarchism is a phenomenon that gives us such ideas and inspiration.


Thank you so much.